当ブログへようこそ、お越しくださいました。
僕はクリニックを立ち上げ、『人様の健康を守る』お手伝いをしています。
医師の仕事と言えば、『病気を治す』ことだと思われるでしょうね。
しかし、ひとたび病気になってしまうと、いろいろな意味で大変なことが重なります。病気はそう簡単には治りません。
時間的にも、経済的にも、メンタルも圧迫されます。
そして、医療機関にいくつも掛け持ちで通い、薬をたくさん飲むことに・・・ということにもなりかねません。
僕は医師の仕事を長くやっていて、そのような患者さんに数多く出会いました。
一度、そうなってしまうと、医療とは切っても切れない状態になってしまいます。
そうならないうちに手を打つ必要があります。
深刻な病気にならないように予防することが、本当の「予防医学」ではないでしょうか。
僕は、自らの経験から、誰でも医療に頼ることなく「自分自身の力で健康を守ることができる」ことを確信しています。
このブログでは、読むだけで健康を守れる知識を提供したいと思っています。
その中の大部分は、僕が医師として、一人の人間として経験してきたことです。
こちらでは、僕が半病人を克服し、アクティブな人生を送れるようになるまでの道のりをお話しします。
この記事の途中で、僕の愉快な仲間たちを紹介します!
楽しみにしていてくださいね^_^
目次
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元気だった父の突然の死
僕はごく普通の家庭の3人兄弟の末っ子で生まれました。体が弱くて、しょっちゅう風邪を引いていたようですが、優しい両親のもと、順調に育っていきました。
そんな平和な家庭に突然の悪夢が起きました。
僕が8歳の時だった、ある日のこと。
父はいつものように仕事から帰ってきて、家族みんなで夕食を摂りました。父は特に体調が悪いような様子はなかったと記憶しています。
その日が明けて、次の日の深夜。
ふと目が覚めると、今まで聞いたことのない、父の苦しそうなうめき声が。
「背中が痛いよ、痛いよ・・・」と母に訴えていました。
母が「救急車呼ぶ?」と父に問いかけても、父は「大丈夫・・・」と話していました。
どのくらいの時間、父が苦しんでいたのかはよくわかりませんが、しばらく経つと「楽になってきた・・・」とベッドの中に入ろうとしました。
すると、バタッと倒れて、そのまま反応が無くなりました。
僕は「パパーっ!!」と泣き叫びました。
その後の様子は当時の僕にはよくわからなかったのですが、後から聞いた話をまとめると・・・
- 父は倒れてから心肺停止状態で、救急車が到着するまで姉が心臓マッサージを続けた。
- 救急車で運ばれて、病院に到着するまで救急隊が心臓マッサージを続けたが、心拍は戻らなかった。
- 病院到着後も心肺停止状態が続き、死亡確認された。死因は不明だった。
あっという間に父は帰らぬ人となりました。
僕は父の急死後の記憶が1年ほど、かなり薄いです。それほどショックが大きかったのでしょう。
僕は次のようなことを、だんだん考えるようになりました。
- 父はなぜ、急に死ななくてはならなかったのだろうか?
- 父が死ななくても済む方法はなかったのだろうか?
- 僕も父と同じように、急に早死にするのだろうか?
このような疑問を解決するため、医師という仕事を選んだのかもしれません。
それでは、その後の小学生の頃の話に移ります。
起立性調節障害に悩んだ小学生の頃
『起立性調節障害』という病名をご存知ですか?
次のような症状が起きやすいです。
- めまいがしやすい
- 立ちくらみがしやすい
- 朝、スムーズに起きられない
- 長い間、同じ場所に立っていられない
僕はこの『起立性調節障害』に悩まされていました。
小学生の時はよく授業中などに顔色が悪くなり、保健室に駆け込んでいました。
また体育館で集会があったりすると、少しでも長い時間が経つと顔色が悪くなり、立っていられなくなりました。バスに乗っている時も、すぐに車酔いしてしまうため、30分以上は立っていられませんでした。
起立性調節障害のために病院に受診したことはありませんでしたが、おそらく貧血があり、血圧も低かったのでしょう。
幸い、少年野球チームに入って少し体力がついてからは、それ以外の体調不良は起きませんでした。
しかし、起立性調節障害が災し、朝6時から始まる少年野球チームの朝練に参加するのが徐々に辛くなり、やめてしまいました。
少年野球をやめてから、始めたのがピアノです。ピアノについても語りたいことがたくさんありますが、それは別の機会にしますね。
次は中学生の頃のお話をします。
朝起きるのは、ボクも苦手だニャ・・・
我が家のアイドルのオス猫、『小春』です。イタズラ好きで食いしん坊です。
中学生の時から次々と病気になった
中学生になってから、バスケットボール部に入り、厳しい練習を受けました。
そのおかげか、体力はついたように思います。
しかし、バスケットボールは長く続けることができませんでした。
僕は中学に入ってから急激に身長が伸びました。また、バスケットボールでジャンプを繰り返すことで、膝にも負担がかかっていたのでしょう。
そのため、「オスグッド病」という膝関節の病気になってしまいました。
バスケットボールやバレーボールをやっている痩せ型の思春期の子供は、なりやすい病気です。
膝関節がかなり変形して、痛みが強くなり、また真っ直ぐ伸ばすことができなくなりました。
バスケットボールはかなりの運動能力が必要で、もともと僕には向いていなかったのですが、これを機にやめることにしました。
そして、中2の頃から、恐ろしいことが始まりました。
頭皮からフケがすごく出て、痒みもひどいので、近くの皮膚科に行きました。
すると、痒み止めの塗り薬を処方されました。おそらく「ステロイド剤」だったのでしょう。
それを塗りだしてから、痒みは少し落ち着いたように思いました。
しかし、薬を塗り出して数日後から、かなりの抜け毛が始まりました。
シャンプーをするたびに、大量に髪の毛が抜け、枕元にも大量の抜け毛が目立つようになりました。
中学生で抜け毛が始まるなんて、思いも寄りませんでした。
僕は「ステロイド剤」のせいで脱毛が始まったのではないか?と考えました。
その頃からでしょうか、薬や医学に対して疑問を持ち始めたのは。
シャンプーを変えたり、洗う回数を増やしたりしましたが、一向に改善しませんでした。
その抜け毛は20年以上続き、僕を長年悩ませました。
そんなストレスを抱えながらも、僕は志望校の高校に合格し、高校生になりました。
のちの考察で、ステロイド剤だけが原因ではないとわかりました。
季節の変わり目の抜け毛がひどくて大変だニャ。
もう17歳になるメスの老猫のリンです。かなりの高齢ですけど、まだまだ元気
です!
高校生で過敏性腸症候群となり、テスト中も集中できず・・・
高校生になり、家から高校までの通学が大変だったこともあり、当初は部活には入りませんでした。
ですが、友人の勧めもあり、バスケットボール部に入ることにしました。
半年ほどは、おおむね順調に練習に励んでいましたが、徐々に元々の持病である膝の痛みが強くなってきました。部員達とうまくいってなかったこともあり、僕は部活をやめることにしました。
部活をやめてから、僕のおなかは調子が悪くなっていきました。
おなかにひどくガスがたまるようになり、たまると「グーっ」と強く鳴り響いてしまうのです。
授業中は先生がしゃべっているので、さほど響きませんが、テスト中など静かな状況でおなかが鳴り出すと、かなり目立ちます。
ただでさえテストは緊張するのに、おなかが鳴ると余計に集中できなくなってしまいました。
後ろの席のクラスメートに「うるさいんだよ!さっきから!」と怒られることもありました。
そして、便秘と下痢を繰り返しました。こちらも典型的な過敏性腸症候群の症状です。
兄に薬をお願いして、試して飲んだこともありましたが、効果はほとんどありませんでした。
高校在学中は「一生懸命勉強した」とは言えないので、おなかのせいだけではありませんが、成績は芳しくありませんでした。
受験勉強はそれなりにしたつもりですが、本番に弱い体質になってしまったため、試験でいい成績を取ることはできませんでした。
一度目の受験は予想通り失敗。
二度目の受験もセンター試験で大きな失敗をしていまい、医学部を目指せる点数ではなかったため、他の大学を受験することにしました。
過敏性腸症候群は食生活を見直せば、だんだんと良くなります!
医学部への再受験を志す
そのようにして、僕の志望ではない他大学に合格し、大学生活を送りました。
しかし大学生活、恋愛、バイト、どれを取っても満足した状況とは言えませんでした。
それに、大学への通学も真面目だったとは言えず、単位もまともに取れない状況でした。
僕はもう後がない状況で、選択を迫られました。
「やはり、ダメ元でも医学部を受験したい!」と考えるようになりました。
家族みんなに反対されながらも、大学は半年で中退し、バイトもやめ、医学部を再受験することを決めました。
さて、受験勉強の再開ですが、実質的に受験まで4~5ヶ月しかありませんでした。
僕はまず受験勉強の戦略を立てました。勉強に関する戦略を立てたのは、この時が初めてでした。
その甲斐あって、「短期間でも最大の効果を得る勉強法」を習得し、実践することができました。
戦略がしっかりしていれば、自信を持てるものです。
次の年の3月、医学部の合格発表の日。
僕は自分の受験番号を確認することができました。
再受験に反対していた母も、この時はすごく喜んでくれました。
不思議と、この再受験の際は体調不良に悩まされることなく、本番でベストを尽くすことができました。
再受験の際は、自宅で受験勉強をしていました。食生活も含め、規則正しい生活ができていたのが、いい結果につながったのでしょうね。
さまざまな体調不良に悩まされた大学時代
2年越しで念願の医学部に入学し、僕は何か部活をやろうと思いました。テニスに興味があったので、「硬式テニス部」に入ろうと思っていました。
ですが、別の「軟式テニス部」の雰囲気が気に入り、入部することしました。
当初は体調は悪くありませんでしたが、中学時代から悩まされてた脱毛症との戦いは続いていました。一度に続けて何回シャンプーをしても、痒みが取れない状態でした。
徐々に、鼻の調子が悪くなり、右の鼻がほとんど通らなくなってしまいました。日常生活には支障はありませんでしたが、不快感がずっと続いていました。
大学3年になってから、朝からずっと眠たい状態が続き、大学の講義にも身が入らなくなっていました。授業中はほとんど居眠りしてしまう状態でした。自分では、「部活やバイトが忙しいからかな・・・」と軽く考えていました。
そして、ついに悪い結果につながってしまいました。思考力や集中力も明らかに低下し、勉強しても知識が頭に入りづらくなってしまったのです。
それまで、学業は順調でしたが、ついに単位を落としてしまいました。
僕はその時は、なぜそうなってしまったのか、全くわかりませんでした。
病院にも数カ所回りましたが、原因はわからず、「病気じゃないから安心してください」と言われるだけでした。
部活動を引退してからは、体調が安定するようになり、思考力や集中力の低下も感じにくくなりました。
ですが、日によって妙に尿が近いことがあり、ひどい時は30分おきにトイレに通っていました。これも何かの黄色信号だったのでしょう。
医学部を卒業し、国家試験に合格するまでは、大学受験の時に身につけた勉強法のおかげで、困ることはほとんどありませんでした。
そして、いよいよ医師になってからの話です。
大学時代は外食やコンビニ食が多く、食生活がかなり乱れていました。そのせいで数々の体調不良を来したのでしょう。
ワシは、いつも元気だぞ!小松菜をもっとくれ!!
ロシアリクガメのロッシー君、いつも元気で何よりだね!
西洋医学ではない、ほかの考え方を知ってから体調はどんどん良くなった
医師になった僕は2年間の研修期間を終え、消化器内科を専門とすることにしました。その頃から、「消化器を制する者は体を制する」という考えがありました。消化器に詳しくなれば、体の中のことがよくわかるのではないかな、と感じました。
しかし西洋医学を用いると臓器についてはよく知ることができますが、体全体のことはよくわかりません。
医師になってからの僕はほとんど休みなく土日もなく、毎日働いていました。そのせいか、だんだん疲れやすくなり、慢性疲労の状態でした。
そして、胃腸も弱くなり、ちょっとお酒を飲んだり、肉を食べたりしただけで、激しい腹痛や下痢が起こるようになってしまいました。
メンタル面も弱くなり、ストレスを感じやすくなりました。
そしていよいよ限界を向かえてしまい、最初に勤めた病院は2ヶ月弱の休職を経て、退職しました。
次に勤務した病院は、勤務自体は穏やかなところでした。
しかし、僕は体の調子がよくないままでした。朝にドリンク剤を飲んで、無理矢理、元気を出して働いている状態でした。
そんな時、僕は「水素水」というものに出会いました。今では賛否両論ありながらも、誰も知るものになりましたが、その頃は水素水が出た初めの頃でした。
水素が発生するスティックをAmazonで購入し、それをペットボトルに入れて、少し時間を置いてから、早速飲んでみました。
すると、10分ほど経ってからでしょうか。
それまでいつも、重かった体がスーッと軽くなる感じがしました。
「これはすごい水だ!」と感激しました。
僕は水素水を飲んで体調が改善してきたことをきっかけに、「僕の知らない、健康情報が世の中にはいっぱいあるのではないか?」と思いました。
Amazonで健康に関する本を数えきれないぐらい買って、読み漁りました。
1日1冊ペースで、すごい速さでしたね。そのくらい夢中だったのでしょう。
僕な多くの本を読んだ中で、健康に関する原則をいくつか見つけました。
それは次のようなものです。
- 食べ続けるだけでは健康になれない。あえて空腹になることも必要。
- 和食には健康になる栄養素が凝縮されている。普段の食生活は和食中心にするべき。
- いくら運動を頑張っても、食生活がしっかりしていないと健康になれない。
- 添加物など自然界に存在しない物質は極力摂らないようにする(ゼロは無理)。
- 健康法に「正解」はない。個人に合った方法を常に模索していく。
僕がこれらのことを考えて実践してから、体調はどんどん上向きになりました。
そして、引っ込み思案だった考え方も前向きになり、行動もアクティブになりました。
今まで僕が抱えていた病気は次のように改善しました。
- 起立性調節障害⇨改善(たまに立ちくらみある程度、早起き得意!)
- 過敏性腸症候群→治癒(下痢することなし!)
- オスグッド病→改善(関節の変形は治らないが、痛みなし)
- 脱毛症→不変(痒みはなし、脱毛は良くなったり、悪くなったり)
- 集中力・思考力→バッチリ!
- 疲れやすい→疲れにくい!
- 顔面の皮膚炎(今まで出てきていません)→治癒
脱毛症はなかなか改善しません。まだ格闘中です(^_^;)
僕は、西洋医学に頼らない「本当に健康になれる方法」を多くの人に伝える方法を模索するようになりました。
普段の診療では、1人の患者さんに多くの時間を割くことはできません。せいぜい15分ぐらいでしょう。そんな中で、僕が本当に伝えたいことは、とても伝えきれません。
今のご時世、開業しても経営が大変ですし、うまくいくとも限らないです。
僕は医師として仕事を続けながら、長い間、悩みました。
「栄養のこと、健康のこと、もっと多くのことをたくさんの人に伝えていきたい!」という気持ちだけはありますが、実現する方法が見つかりませんでした。
そして、ついに自分の生き方のヒントになるものを見つけたのです。
ファスティングとの出会い
あなたは、ファスティングをされたことがありますか?
今や、ファスティングは気軽にどんな方でもできるぐらい、メジャーな方法になってきてますね。
僕は8年ほど前から、1日2食の半日ファスティングを行なっていました。今では「オートファジー」という言い方が有名になりましたね。
そして、自己流で2日ほど固形物を摂らないで、水だけ飲む方法でファスティングをやってみました。しかし、フラフラになって辛いだけで、体へのプラス効果は全くありませんでした。
そんな中、ある日「ファスティングマイスター」という資格があることを知りました。
ファスティングマイスターはファスティングを専門に科学として扱っている資格であり、分子栄養学をかなり詳しく学ぶことができるというものでした。
まさに、僕が求めていたものでした。
これを学んで取得することができれば、多くの人に伝えることができる!
医師を続けながらも、副業として続けられる仕事だと確信しました。
まずは初級の資格を取りに東京の「ファスティングマイスター学院」に試験を受けに行きました。
こちらで学んだことを、活かして、自分自身で最長6日間のファスティングを行いました。
6日間?って思われるかもしれませんけど、専用のドリンクを使えば、空腹感はほとんど起きませんし、食べられないのがつらくもないんです。
6日間ファスティングで、次のような効果が得られました。
- 味覚が敏感になった(添加物など不自然な味を見分けられるようになった)
- 便秘が解消した(長く緩んでいた腸が短くなったと考えられます)
- 頭がスッキリして、アイディアが閃きやすくなった(ケトン体の影響と思われます)
僕は、半日〜1日1食ファスティングを長期間続けていましたので、その効果がかなり出ていたと思います。
今まで、ファスティングをした経験がない人は、初回のファスティングで大きな効果を感じられることでしょう。
そして、2020年になって、新型コロナウィルス感染症が流行しました。
そのため、多くの方にファスティングや栄養学をお伝えすることのできる、「エキスパートファスティングマイスター」の資格を取るのが遅くなり、2020年の9月でした。
僕はその時はまだ地方公務員の身分でしたので、副業を行うことはできませんでした。
2年後には公務員をやめて、副業を開始する!と心に決めました。
そして、情報発信するために、TwitterとInstagramを始めました。
そこで多くの素敵な方々と出会いました。
SNSで発信したり、交流したりできるなんて、思いもしませんでした。
また、今まで休んでいたピアノを2021年1月より再開しました。
もともとピアノの腕は大したことないんですが、再開してからピアノを弾くのが楽しく、今までで一番上達していると思います。
リストの「愛の夢3番」を弾くのが好きですね。
俺は週に2回しか、ご飯を食べないぞ。それですごく調子がいいんだ。
ヒョウモントカゲモドキの『ヒョウ丸』君、君は週に2回食べるだけで十分なん
だよ。
そして、休職。さらに素敵な出会い。
僕のプランでは、もう少し先に副業を開始する予定だったのです。
しかし、今年の5月に慢性疲労・ストレスのため休職に追い込まれました。
僕は一時、生きる気力を失いました。
「こんな状態では副業なんて、できっこない・・・」
しかし、ここでまた一つの大きな出会いが待っていました。
僕が休職した際にオンラインで診察していただいた「野口基礎医療クリニック」の野口勇人先生です。
僕は野口先生のおすすめもあり、オーソモレキュラー(分子整合医学)の考えを取り入れ、体調の改善をはかりました。
オーソモレキュラーの考えを取り入れてから、僕はみるみる回復できました。
復職に至るまで、さらにいろいろありましたが・・・
そして、医師としての復職と念願のクリニック開業にこぎつけました。
オーソモレキュラーについては、溝口徹先生が理事長をされている『オーソモレキュラー栄養医学研究会』という団体があります。
僕は今までの経験を経て、実感しました。
ファスティングは「最強のマイナス栄養学」と言われるけど、「最強のプラス栄養学」も必要なんだと。
オーソモレキュラーで足りない栄養素を明らかにし、そこをピンポイントに食事やサプリメントで補うと、体調はどんどん改善することがよくわかりました。
僕は「ファスティング」と「オーソモレキュラー」を身を持って体験した、日本でも数少ない医師だと自負しています。
そして、僕の知識や経験が多くの方に役立つものであると確信しています。
オーソモレキュラーを「医療」と捉えるかどうかは、人それぞれだと思います。しかし、「本当に役に立つ栄養学」を僕があなたに提供することができれば、あなたは自分を守る方法を知ることができます。
今回の記事は最初ということもあり、自分の話ばかりになりましたが、次回からは有用な健康情報を書き綴っていきます。
どうか、楽しみにしていてくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
はじめまして!『こばやし内科クリニック』の院長をしております,
Dr.コバです。